放送大学 千葉学習センター

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住所:千葉県千葉市美浜区若葉2-11MAP
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【放送大学千葉学習センター/インタビュー】
人間の「知りたい」を満たしてくれる教育機関、それが放送大学。

放送大学 千葉学習センター

2年前

放送大学 客員教授/山本 純ノ介氏


社会人のための生涯学習機関として1981年に創設された放送大学。テレビやラジオ、インターネットでの講義に加え、千葉県をはじめ各都道府県に置かれた学習センターでは、対面式授業(面接授業)に加え、WEB会議システム「Zoom」を活用した「ライブWeb授業」もスタート。大学開設からこれまでに延べ130万人以上が卒業している。

放送大学の大学課程は、教養学部教養学科のみの1学部1学科。教養を身につけると共に職場や実生活で活かせる専門的な知識を得ることが可能だ。用意されている学部は「社会と産業コース」「生活と福祉コース」「人間と文化コース」など6種類。大学卒業資格を満たす全科履修生や、任意の科目だけを選べる選科履修生など4通りの履修スタイルが選べる。

今回お話を伺った山本純ノ介氏は、客員教授として2019年から放送大学千葉学習センターで教鞭をとる。作曲家、教育者というふたつの肩書を持つ山本氏の経歴を振り返りながら、放送大学の魅力や学ぶことの意義を教えていただいた。


音楽一家に生まれ、3歳からピアノの手ほどきを受ける

「僕が初めて音楽に触れたのは3歳の時です。おじいさんの元でピアノや作曲の基礎である音符やト音記号の書き方などを教わっていました」。自身の原点について、時折身振りを混ぜながら穏やかな口調で語る山本純ノ介氏。1958年に作曲家・山本直純の長男として生まれ、幼少期には大正昭和期に作曲家として活躍した祖父・山本直忠や母・正美からピアノの手ほどきを受けた。父親の音楽仲間であったマリンバの名手・杉山園子からはマリンバの奏法や音符の書き方を教わりながら、次第に歌やピアノの作曲に挑戦するように。「ピアノに始まって、マリンバで打楽器の面白さを知り、小学5年の頃にはクラシックギターで様々なコードネームを覚えました」。

山本氏が中学生になった1970年といえば、世間ではフォークソングが大流行していた時代。「自分で詞を書いたり曲を作ったりしていたものですから、友達が聞いていたシンガーソングライターと呼ばれ人気を集めていた吉田拓郎や泉谷しげるのテープを友達に聞かされるようになりました。クラシックにはない雰囲気がちょっと気になる存在でした」。世界の民族音楽にも興味があった当時、山本少年の夢は音楽ジャーナリストになることだった。「兼高かおるさんみたいに世界を飛び回って、各国の文化や音楽を見聞していくような。文化人類学の延長線にありながら、いろんな民族音楽を調べていくジャーナリスト・研究者になりたいなと、漠然と思っていました」。


15歳の春、音楽の道で生きていくと決意

山本氏の音楽人生を決定づけたのは、高校の同級生だった奥様の影響が大きかったと言います。「小さい頃からピアノをやってきた僕から見ても、彼女の腕前は異次元の上手さでした。演奏スキルが相当求められる『黒鍵のエチュード』をさらりと弾いてしまうのですよ。ピアノじゃあとても彼女にかなわない。ならば作曲の腕を磨こうと決意して母に『真面目に作曲を学びたい』と相談しました」。山本氏の母・正美は現代音楽の作曲家であり、上皇后美智子様が高校時代にお書きになった詩をもとにした「ねむの木の子守歌」の作曲を担当したことで知られる。母の紹介で長谷川良夫先生に師事し作曲家への道を歩き出すが、ここで大きな問題に直面することになる。「小学生の頃から作曲は好きで自信があったのですが…長谷川先生とお会いし、曲を見てもらい、ピアノを聴いてもらうと『君の作曲スタイルは我流が強い』と言われてしまって(苦笑)。受験のためには基礎からやり直すことになりました」。

長谷川先生に紹介された作曲家の北村昭先生からは和声に始まりフーガやソナタといった作曲技法を学び、1977年に東京藝術大学音楽学部作曲科へ入学。2年で小林秀雄先に出会いもともと好きだった合唱音楽の美しさを再認識しました。また3年時から修士修了まで松村禎三先生に師事して交響曲の作曲を志すようになりました。ふりかえてみると「音楽で生きていく上で僕に足りなかった部分を長谷川先生や北村先生にみっちり補正してもらえたわけです。ちぐはぐだった知識が高校時代できちんと整理された。松村禎三先生の教えからは、『作曲とは何か』を自ら考えるようになりました。松村先生の交響曲を聴いて『これほどまでに心を打たれる現代曲があるのか』と感銘を受け、自分も交響曲を書こう」と思いました。


作曲家として、教育者として駆け抜けた40年

80~90年代にかけて数々の作品を世に送り出し、91年には自身2曲目となる交響曲「法顕伝交響曲」がシルクロード管弦楽国際コンクールの優秀賞を受賞するなど、作曲家として順調なキャリアを築いていった山本氏。それと同時に、長年にわたって多くの学生を育ててきた教育者でもある。修士課程2年目から尚美学園短大の非常勤となり、週7コマの授業を担当。修士を3年かけて修了後、上野学園短大や日本映画学校と教育現場を経験し、千葉大学の助教授を母校藝大非常勤講師兼任で務めました。はじめ教育者になった理由を「父と母、それから弟も音楽家。山本家にはまともにサラリーを稼ぐ人間がいなかったから」と冗談めいて語るが、実のところ「昔から人に教えるのが好きなのです。生徒さんの個性や特性に合わせながら教えていくと、思わぬところで音楽の才能が花開いていってね。そういった過程に立ち会えるのも嬉しいですからね」。

その後50歳で千葉大学教授に。「大学の教員になるまでは作曲と指揮を主にやってきましたから、教育畑の知り合いが少なかったです。千葉大学が縁で知り合った宮野モモ子先生(千葉大学教育学部名誉教授、放送大学千葉学習センター前所長)にはとてもお世話になりました。僕が放送大学にやって来たのも、宮野先生が2017〜2019年に放送大学で第九交響曲イベントを開かれる際にご縁をいただいて。あの時は妻にもピアノ演奏を手伝ってもらいました」。


学びを通じて知らなかった世界が見えてくる

40年にわたり教育現場に携わってきた山本氏に学ぶ事の意味を伺った。即座に返ってきた言葉は「放送大学学歌の歌詞にあります」。“生きるとはまなぶこと、まなぶのはたのしみ”“生きるとは知ること、知ることはよろこび”。「学ぶという事は知るという事です。知りたい知りたいという欲求が学ぶ心を育むのだと思っています」。自身も幼少期からクラシックや現代音楽に囲まれ、中学でフォークソングやジャズに興味を持ち、それらの理論を学んできた。「音楽の世界では“遊び”も重要です。理論やメソッドを学んで型を会得したら、今度は型を破っていくという意味の。遊ぶためにしっかりと学ぶ。そして学んでいくと、知らなかった世界が見えてきて興味が湧いてきて、また新たな学びが始まるものです」。

音楽は自分の思いを音に乗せて伝える事。音楽を始めるのに年齢は関係ないと断言する山本氏の考えは、広い世代に門戸を開いている放送大学の教育理念と相通じる。65歳になった現在も毎日が学びと話す山本氏の次の目標は「死ぬまでにもう一度交響曲を作りたいですね」と笑顔で答えてくれた。


<プロフィール>

山本 純ノ介/やまもと・じゅんのすけ

1958年、東京都出身。1984年、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程を修了。作曲家であり指揮者の山本直純の長男として生まれ、幼少期から作曲を続ける。20代の頃から教育者としても活躍。千葉大学教育学部教授。


※この記事は2023年3月現在の情報をベースに作成し、更新しております。内容が変更になっている場合もございますので、詳細は放送大学または、放送大学千葉学習センターの公式ホームページをご確認ください。

※撮影のため、マスクを外すご協力を得て撮影を実施しています。

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